お弁当の歴史
古墳時代
狩り、戦争、農作業の時にわざわざ家に帰らず途中で食べられるように干飯(ほしいい)やおにぎりを持って出かけていたらしい。
※干飯(ほしいい)・・・炊いたお米、または蒸したお米を干して乾燥させたもの。
奈良時代
鷹狩に持って行く餌袋を弁当入れのように使っていたと日本書紀に書かれている。
平安時代
宮中や貴族の家でふるまわれた強飯を握り固めて卵形にしたものを屯食(とんじき)と読んでいた。
このころに杉谷チャノバタケ遺跡のおにぎりより今のおにぎりっぽい形になってきた。
伊勢物語の中で在原業平(ありわらのなりひら)が三河の国(愛知県)八橋で「かきつばた」(花の名前)を題に歌を詠むと、それに感動した人々が干飯の上に涙をこぼして飯がふやけてしまうという話が出てくる。
在原業平さん、伊勢物語の主人公でしかもイケメンだったらしい。
ほんまかなwww?
安土桃山時代
漆器の弁当箱が作られるようになり、この時代からお弁当はお花見やお茶会といった場で食べられるようになった(´∀`)
まだまだ続くけど、今回の自由研究は徳島の駅弁の研究なので、今っぽいお弁当の形になったここまででいったん終了☆*:.。. o(≧▽≦)o .。.:*☆
名前の由来
戦国時代に大勢の人に食事を与えるときに簡単な器に盛って配膳したことから「配当を弁ずる」または「当座を弁ずる」が言葉の由来であるとする説。
「好都合」「便利なこと」を意味する中国語「便當」が語源であるとする説。
Google翻訳で翻訳してみたけど、なんかしっくりこない。
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